★体験記は、尿膜管遺残症当時(2017-2018)の日記です ( ´ ▽ ` )
12月6日(水)
手術次の日
朝方看護師さんが来て体温と血圧を測ってくてた
そしてついに指と胸の機械も外してくれた
「あの…オムツ、パンツに履き替えてもいいですか…?」
「大丈夫ですよ」
「それとさっきトイレ行こうと思ったらクラクラして…」
「車椅子持って来ますのでそれで移動してください」
「オムツはどうすれば…?」
「看護師に渡してもらったら処分します」
……看護師さん、本当に申し訳ない!ありがとうございます…
パンツもって車椅子でトイレへゴー!
痛っ!痛ーーーーい!
えぇぇーーまだ痛い!泣
オシッコするの怖いーー _:(´ཀ`」 ∠):
チューブどう着いてたんだろう
痛すぎるよ…
オムツは綺麗にたたんでさっきの看護師さんと運良くすれ違ったので、深々と頭を下げてお渡しした
おもらしはしてなかった!よかった
………
ああぁぁあー
いろいろともどかしい!
そして猛烈にお腹空いたよー
………
( ´ ▽ ` ) ←朝ごはんきた
術後初めてのごはんはバナナだった
( ´ ▽ ` ) ←バナナ好き
朝ごはんを食べたらやっぱり元気が出て
ハミガキまでは車椅子使ったけど
その後要らないほど血の気が戻ったので、
車椅子が足りなくて取りに来た看護師さんにすぐ返すことができた
9時前
先生たちは出勤して診察室に入る前に
自分担当の入院患者を診に回らなくてはならないらしい
やっぱり来てくださった
回診?今日は偉い先生と看護師さんたちがどやどや数名で来た
昨日の朝も回診らしいどやどやした気配があったが自分のところには来なかった
なぜかはわからないけど…
なんか先生のテンションいつもと違う…
まあ、いい
帰り際に
「誕生日?」
「誕生日なのに病院?」
と、外科の先生が
自分の誕生日を祝ってくださった
自分はうっかり誕生日を忘れていたので
先生から言われて思い出して
おもいっきり目が丸くなってしまった
前日までは覚えてたんだけどな
あーあ
誕生日病院て _:(´ཀ`」 ∠):
うあーーーーーーーーーーん
誕生日の前日に赤ちゃんのなごりである尿膜管とお別れした自分
なんか…
子どもの心を失った感
(´・_・`) ←こみ上げる虚しさ
てか、へそ神様はどうなったのか…
自分が必死すぎてそれどころじゃない
ごめんなさい!へそ神様…
その後熱と血圧を測るも熱が37度から38度間をウロウロ
熱い…
看護師さんがアイスまくらを持ってきてくれて快適になった
発熱は膿瘍の時もあったので慣れている
看護師さんが術後ずっと発熱している自分を心配してくれたが
自分にとってはただ熱いなー程度
別に頭がぐるぐるすることもない
うぅー熱いよ _:(´ཀ`」 ∠): ←やせ我慢
お昼
母親がケーキと大好きなマグロ(鉄火巻き)を買ってきてくれた
ささやかな誕生日
( ´ ▽ ` ) ←何食べてもいいよと言われていた
わーーーーーい!お腹いっぱい!
ありがたやー
…トイレは5回目くらいまで痛さが残ってた
夕方職場の先輩が電話をくださった
デイルームに移動して半分仕事の話しと半分手術の話しをした
……そうそう
手術の後喉が痛くなる人がいると麻酔の先生が言っていたが
自分はその人だった
喉痛い
シャガシャガする
ガサガサ?
小声で話すもお腹に力入らない
うーん
夜寝たら喉がイガイガするので
何回も寝言言って起きた
同じ部屋の人
うんうんって
うるさかっただろうな…
(´・_・`) ←お互いさまだけど
と、12月6日の記録でした ( ´ ▽ ` )